教員免許を持ちながら、教師を諦めた理由の1つに「若さ」がある。
正直、教育実習は指導教諭や参観者からお褒めの言葉を戴いた程大成功し、担当したクラスの子どもたちも最終日には9割前後もの割合で泣いて駆け寄ってくれたほどの関係性を築くことができた。
人間として終わっているこの私が。
私の学生時代の記憶では教育実習生に対して特段なんの感情もなく、実際クラスメイト達も泣いて別れを惜しむなどといったドラマや映画みたいなイベントも起こっておらず、そもそも担任の教師に対しても目上の者という思慕や愛着程度に留まる程度のものだった。
ましてたった1ヶ月ずっと近くに居ただけでこうも愛してくれるとは夢にも思わなかった。
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確かに昔から何かと教育係(という面倒の押し付け役)を任命されることが多く、「教えるのが上手い」などと形式的な世辞を並べられてきたが、実情として他人と比較して特段優れている訳ではないという自覚がある。
それでもバスケやお囃子やボランティアイベントなどで年下の子供らと接してきたとき、「嫌いじゃない」というレベルで発せられるハードルの低い「好き」(取るに足らない些末で無意味な“好き”である)を数多く浴びせられてきた。
だからこそ、教師という職業を新卒から勤め上げるということを避けた。
自分がダメな人間であるという自覚・認識が強くあり、それでもそんな自分を好いてくれるのは「若さ」ゆえに他ならない。
もしこれが4,50代になってしまったら、もはや誰からも愛してもらえないのではないか、いつまでもこの「魅力のない人間性」を以てして通用する社会ではないと漠然とした不安に襲われてきた。
もちろん「魅力のない人間性」を少しでも魅力的に魅せるために技術面としてスポーツや音楽、手芸に料理と幅広く手を伸ばしている。
苦手な学業も未だに四苦八苦しながら長期間向き合い続けている。
高3の受験時には抱えていた精神的絶望の最中、諸々挫折し失敗するも学習塾にも通わず国立大に現役合格し、大学卒業後にも社会人になってから累計30近くの各種ゴミ試験を受けている。
(程度が低いことは認める)
それでも、私には未だに何もない。
何も持っていない。
もはや何一つ持ち得ないことを自覚し始めた程である。
強いて言うならば「若さ」だけである。
孤独と若さだけを抱きしめて25年余り。
この先「若さ」を失った時、私は耐えられるのか。
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コロナ禍、惰性で生きてしまっている。
旅行やレジャー等で外出できない独り身に生きている意味はあるのか。
仕事をしていてもその必要性をあまり感じられず、給料日も引き出すことなく貯まる一方。
律儀に自粛を守り、只管 若さを浪費している。
今の私に生きる価値とは。
若さだけが取り柄だというのに、このカードを使い切った後の人生、若さ無しで通用するのか。
そう思うと先人達は偉大だと思う。
私は、可及的速やかに何か別の新しい武器を持たなければ。