20代にしがみつくブログ

20代元金融マン。やっと2000万資産達成。東証一部上場企業勤務(プライム市場になりましたね)。FP2級(法人+個人)。一種教員免許。証券外務員1種など金融商品取扱資格全般。銀行検定各種保有。IT関連資格保有。国立大卒。7年連続で映画を年間300~700ほど鑑賞。痛すぎるプロフィール。ずっと20代でいたいブログ。最底辺の負け組人生やめます。

毎月試験チャレンジ1年経過の果てに







自身の境遇や推しの動向や将来への漠然とした不安などから、
2020年9月よりまるで新社会人の頃のように試験を受けまくってきた。




とりあえず毎月1つ程度のペースで各種受験。


結果受かった試験は9つ。
落ちた回数は4つ。



その甲斐あってか、社内の資格保有奨励制度において一応は表彰基準に合致する程度には悪あがきをしているらしい。




それなのに全く成長していない。


事実、先日履歴書を書く機会があったのだが、近年取得した資格のうち5つが保有資格欄に書けない資格だった。

社内では「〇〇の資格を取れ!」と命令されるのに世間一般的には保有資格欄にも連ねることもできない業界資格の存在価値を疑った。

所詮 銀行業界の試験などゴミでしかなく、何の役にも立たないことを思い知らされた1年だった。




掌を開けど何も無い。

掴めたものは何一つ無かった。





ただ時間とお金と労力が消えていったのみ。





悪あがきを始めてからちょうど1年が経つ。

あれからどれくらい変われたのか。





社会人になって、気がつけばもう4年目。

仕事には流石に慣れが顕れてきているが、経年成長など実情が伴っていないから一番恐ろしい。



焦燥感ばかりが日に日に強くなっていき、もはや前後不覚とも言えるほどに何もかもが正しいのか誤っているのかすら判断できない。


結婚は誰とするのが正解?
何歳でするのが正解?
家族構成は?居住地は?
仕事は定年まで今の就労先で正しい?
今更何かを始めたり終えたりするには手遅れ?



何一つ私にはわからない。

かと言って周囲の人も自分自身も、今までの人生において選んできた数々の分岐点や選択肢の数々をそれが絶対解だと信じて掴み取ってきたわけではないことも理解している。



とはいえ何かを「選択する」にはなかなか勇気が要るものである。





多くの物事には期限があり、タイミングがある。

現代においては先人達の轍が少なからずあり、一定のガイドラインあるいは成功の期待値が見込めるルートやレシピも示されている。



先人達に学べど、では私は?

向上心こそあれど、立身出世主義とまでは遠く及ばない私にとって、成功は十分条件でしかなく必要条件ではない。




只管、幸福さえ掴めれば。




それだけで救われるのに。









幸福になるために足掻き藻掻いた1年だった。


これが水泡に帰すばかりの徒労に終わったのかどうかさえわからない。

最大限のパフォーマンスを発揮した上で生を時間を労力を蕩尽したかと問われれば残念ながらNOとなるが、及第点の悪あがきとして認められるものならばこれ以上のことはない。


事実、来年から諸々が変わるだけのことをしたのだから。


そう、詳細の報告はまだできないものの、嘗て第一志望だった場所に身の置き場を改めることとなった。




やっと訣別できる。


この3年9ヶ月を費やした先にあったものは、
自己犠牲以外に何もなかった。






いつかブログにも書いたが、石の上にも3年。

石の上にも3年?

3年もあれば実際に周囲には結婚したり海外勤務から凱旋してきたりと人生が大きく変わりうるというのに、因習に縛られ機会損失するだけの長い長いインターンだった。



気がつけば200人いた同期の半数近くが退職しており、私より早期にこの忌むべき昭和気質の東証一部上場企業を見限っている。



そういえばもう東証一部上場企業勤務と名乗れないが、それは退職の有無に限らず私以外の誰もが同じである。



東京証券取引所は2022年4月4日に再編される。

これまでの「東証第一部」「東証第二部」「マザーズ」「ジャスダック」といった市場区分から、「プライム」「スタンダード」「グロース」という新たな市場区分へ移行する。



いずれにせよ時間の問題だったのだ。


万物流転。パンタレイ。


もはやどうでもいい。
やりたい仕事など何もない。
第一志望をしてもなお。


是非はわかりかねるが、今の就労先より労働人口が2倍以上の規模の就労先に鞍替えするのだから、より安定しているものと思いたい。










コロナ禍、様相を変えた世界に倣い、遂に私も変化を起こす。



右も左も分からないが、今の自分が他の場所でも通用するのかどうか近いうちに明らかになるだろう。



その挙げ句にまた逃げることになったとしても、
この果てが行き止まりだったとしても、
上手に生きられない私はやはり足掻くしかないのだ。




チャレンジの果てのチャレンジ。




安息地よ、何処。