20代にしがみつくブログ

20代元金融マン。やっと2000万資産達成。東証一部上場企業勤務(プライム市場になりましたね)。FP2級(法人+個人)。一種教員免許。証券外務員1種など金融商品取扱資格全般。銀行検定各種保有。IT関連資格保有。国立大卒。7年連続で映画を年間300~700ほど鑑賞。痛すぎるプロフィール。ずっと20代でいたいブログ。最底辺の負け組人生やめます。

惜しむらくは、推し










いつになく凹んでいる。理由はそう、推し(会社同期社員)が消えた。前触れも音沙汰もなく辞めた。コロナ禍、私は今まで不真面目に土日を無為に費やして遊び呆けていたことを反省して怒濤の資格試験日和を過ごしている。実はその背景に身近な推しの存在があった。推しは同年代であり、愛すべきポンコツであり、容姿端麗な赤ちゃんだった。実際に推しと話す機会は当初かなりの頻度であり、都会民の推しは土人の私にとっては輝いて見えた。都会に生活基盤を有する人は私とは違ってもはや人種すら違うような感じがする。端的に言えば「洗練されている」。未だに文化の開かれていないド田舎の私とは住む世界が違うことが一瞥でもわかる。そんな推しがここ数年ちょくちょく資格を律儀に取っていた。最近の私が今更になって漸く社内の資格試験を受け始めたのはすべてこの推しの影響なのだ。なお、資格試験を律儀に取っていたと記したが、正直推しは少し不思議ちゃんオーラがダダ漏れの赤ちゃんである。少々ネジの緩んだ推しであったが、社内成績は私と違い頻繁に上位に君臨していた。私は日々推しの轍を観測して2年半の間業務に従事してきた。推しが頑張っている。赤ちゃんなのに、偉い(失礼)。自分ノルマゼロだけど推しに肖って今を確り生きなきゃ。などと、推しの存在には一方的ながら大変影響を受けてきた。人伝に推しの様子を教えてもらったり、資格試験や社内成績といった公の動向調査に励んだりと狂気じみた活動もしたが、プロの追随者()ではないので理性の下であくまで一般的な距離感から逸しないよう推しを心の支えに社会人生活を乗りこえてきた。そんな推しが突如として消えた。少し回顧すると思い当たる節がないわけではないのだが、私が「転職するしかない」と適当な御託を並べると、自分はこの会社でずっと働き続けるという決意表明を幾度となくしていたというのに。思えば推しだけではない。仲良くなった人のほとんどが既に退職している。このゴミみたいな会社。否、ゴミ会社。確かにこの会社はゴミだ。正直就活の際も、ずっと公務員試験を受けていた私が面接練習としてとりあえず受けた1社の民間会社が今の就労先である。そもそも就職するにあたって何の思い入れもなければ、苦労もなかった。偶然母が地元零細企業の経営者だったこともあり中小企業の社長()の愚息として世話になったから恩返しをしたいだとかよくわからないことを言った気がする。(実際主婦業の片手間で事業を行っているので世話も苦労も何もないのだが)リクルーターによる面接も、その日は大学の友達とディズニーに行く予定が前々からあったため当然のごとくキャンセルしたが、特段問題なく無事受かっている。そもそも私のようなこんなクズを採用する時点でゴミ会社であることは自明なのでそのゴミ具合については本記事にはここらで割愛させていただくが、そんな会社でも胸を張っていた推しよ、一体どうしたというのか。気がつけば社会人3年目どころか、もう少しで4年目に突入するというのに未だに何一つ成長していない。それに対してFP1級受かって結婚し本部に異動した同期もいれば、退職した同期もいて、子どもを出産した同期までいる。私だけが取り残されている。この人生、生き遅れている。今までの人生、なんだかんだできちんと生きてきたつもりで、25年間それなりに凌いできたと思っていた。浪人も留年もせず猶予期間も特段なく社会人生活に突入すれど、この計り知れない焦燥感は一体どこから湧いてくるのか。焦燥感と向上心だけは人並み以上にあれど、それに伴う実力も結果も何も持っていない。これが私と周囲の差なのだろうか。2021年、正直資格試験で輪郭を曖昧にしていた。言い訳を探して、本質から逃げているのかもしれない。我ながら倦厭しているフレーズだが、そろそろ言い訳のカードも使用期限が近い実感がある。何かにつけて言い訳できるのはせめて20代までがタイムリミットなのだろう。30代以降はもはや言い訳など通用しない。反実仮想に苛まれる日々が眼前に待ち構えているかと思うと末恐ろしいが、それらは紛れもなく私自身が向き合わなければならない未来なのである。それにしても推しよ、さようなら。連絡無精なのでLINE等を送る選択肢は存在しないが、きっと推しのその顔面偏差値75ほどの見目麗しき尊顔であれば幸せな未来しか存在しないだろう。重ね重ねになるが、住む世界が違う洗練された推しを知覚できただけでこうも人生について思いを馳せることができた時点で、私にとってやはり推しという存在は有益なものだったのだと思う。今まで推しに触発されてきたが、今やその指標を失ってしまった。とりあえず目先には10日後にまたも資格試験が控えている。まずは1歩、また前を向いて進まなければ。