早いものでもう12月を迎え、2019年も残り僅かとなった。
今年は和暦改号という日本国全体で大きなイベントがあったが、社会全体の流れとしては2020年のオリンピックに向けて着々と準備を進める年だったように思える。
平成から令和へ。
普段天皇をあまり意識しない筆者も思わず天皇即位記念硬貨を買うくらいには日本の象徴天皇制について思いを馳せた。
こうして時代は移り変わったのに、私は何か変わることができたのだろうか。
思えば毎年、年の暮れに同様のことを考えている。
今年は何があったのか、何をしたのか、何かを変えられたのか、何をできなかったのか、どうすべきだったのか。
今年もダメな私を許してくれるのか。
簡単に2019年を振り返ると昨年より時の流れがずっと早い気がする。
昨年は卒業旅行をし、大学を卒業し、新社会人として会社や国に血税を納めることで精一杯だったが、今年については目を閉じれば刹那、既に暮れを迎えようとしている。
「歳月、人を待たず」という慣用句があるがまさにその通りだ。
自分がどれだけ頑張ろうが頑張らなかろうが、楽しかろうが楽しくなかろうが、等しく時は刻まれる。
長短の感覚の違いこそあれ、定量的に規定された時間の中でどのように日々を過ごすのかが肝要なのだ。
そんな滔々と、淡々と過ぎる時の中で、生きることにどれだけの価値を見出だせるかが今現在の筆者にとっては大切なことになっている今日この頃である。
それにしても11月が今年のなかで最も恐ろしい1ヶ月だった。
滔々と流れて、掴むことのできない水流のように実感することのできない歳月だが、ダメダメな筆者なりに11月は勝負の1ヶ月としてスケジュールを調整しイベントをセッティングした。
前回の記事に一部載せたように、11月は大祭と謎解きと天皇即位記念のお囃子演奏とオランダベルギー旅行と埼玉日帰り観光と仕事の数々に奔走した。
プランニング下手で、スケジュール管理できない筆者としてはどれも無事なんとか形にすることができたことについては及第点をつけたい(甘え)。
しかしながら、どれも自分一人ですることではなく他者との折衝のなかで実施するものであるのに、いつまでも無計画無準備のまま当日を迎えてしまうのは良くない癖だ(無準備と言うと流石に語弊はあるが)。
この悪い癖が人生柄、ある意味軸となってしまっているのが非常に良くない。
この身に染み込んでしまって本当に大変よろしくない。
特に海外旅行でそれを改めて痛感した。
準備こそせずともあらかじめリサーチするのが筆者の習慣なのだが、今回の海外旅行は最低限のことだけしかリサーチせず、結果当日バタバタしてしまうことがあった(私だけ)。
同ツアー参加者の他の方々と結構な頻度で合流する機会があったのでいろいろと尋ねてまわったが、やはり20万弱の料金を支払うからには皆きちんと1ヶ月前には国立美術館の入場券を予約していたり、有名所に行くため地図やガイドブックを駆使したりしていた。
いや、当然。
当たり前体操。
反省。
これは素直に反省しかない。
私なんかと違って当該イベントに対する意識が違うのだろう。
私は人生初のヨーロッパ旅行のくせに、特段行きたいところもなく、ただ羨望の赴くまま添乗員付き至れり尽くせりツアーに身を委ねただけだったが、本来であれば何か具体的な目的があって参加するものであるはずなのだ。
(とはいえ浅学非才で田舎者の私にはオランダベルギーにてどうしても押さえておきたい観光地やスポットは特段なく、そもそも行きたいと思うくらいの世界遺産や有名所はツアー内容に既に内包されているため、甘えに甘えを重ねてしまった…)
私のように忙しさにかまけて惰性で過ごしてしまうにはとても勿体ないイベントだったはずだった。
ただし結果として非常に有り難いことに、今回については各自由時間が1.5~3時間と短く、世界遺産など有名観光地が絞られており(日本と違って島国ではないため、その求心的都市構造により観光すべきところは集中している)、一緒に来てくれた神様仏様女神様が手堅く調べ尽くしてくれていたため事なきを得た。
振り返ってみれば大変充実した旅行となったものの、本来であればこう上手く事は運ばないだろう。
時の経過に解決を任せがちになりつつあるが、そんな滔々と過ぎる今日この頃に対しても、真正面から向き合って現実と対峙し、然るべき行動に移らなければ堕落の一途を辿ることになると改めて感じた。
否、時を滔々と流れさせてはならない。
忙しさにかまけて言い訳してはいけない。
気がつけば24歳。
20代前半ももう終わり。
2019年ももう終わり。
2020年こそは飛躍の年にしたいものだが、まずは目の前のことから1つずつ、残り24日もある2019年を悔いなく過ごせるように精進して参りたい。