27歳、人生、前後不覚の五里霧中。
もはや人生の消費期限が近いとすら思い始めているのに、周りの39歳だとか46歳だとかを見ると「若いなあ」と思う自己矛盾。
(偶然見た目より若々しい人が近くにいるだけで、自分のそれとは一線を画している)
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最近、どの季節でもそれは「期間限定」なのだと思ったり思わなかったりする。
このコロナ禍での○月だとか夏だとか秋だとか。
「今しかできない」といったプレミア感に唆されて、本来何もしたくない私であるというのに必死で何かにしがみつくかのように日々奔走している。
例えば先日の富士山登山や鍾乳洞がそうだ。
夏の期間しか開山されていなかったり、気温の関係だったり、思い返せば何かの制約のもとに行動する傾向が人一倍あるのかもしれない。
逆に言えば、何の制約もなく日々を悠々と過ごすことができないということかもしれない。
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問題なのは、その制約が日に日に強い拘束力を帯びてきていることだ。
光陰矢の如し、歳月人を待たずとはよく言ったもので、つい先日大学を卒業した22歳だったはずが、気がつけば何が正しいのかすら知覚できない哀れな社会人5年目が完成している。
ブログの名前にしている「20代にしがみつくブログ」というのも、あと3年弱で終わってしまう。
20代、こんなことで浪費していいのか。
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この「終わりつつある“若さ”」の消費期限が来たとき、“若さ”以外に対抗できる武器を私は持っているのだろうか。
物理的にも精神的にも人一倍苦しんできた自覚は確実にあるものの、それが建設的なもので「“若さ”以外に対抗できる武器」を形成したのか?というと、残念ながら何も言えなくなる。
「悪あがき」の一環で、
資格を十数個以上取得した
アカデミー賞作品など名作映画を数多く観た
数々の人生初体験・初見聞を履行中
といった取り組みはしているものの、周りにいる知人のそれに自信を持って太刀打ちできるものは何一つない。
(周りがあまりにも優秀すぎるというのもある)
では何をすれば、「“若さ”以外に対抗できる武器」を持ち得るのか。
それを残り3年弱のなかで見つけなければ。
この終わりゆく期間限定と消費期限の狭間で。
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そんなことを考えながら、ハロウィン限定のお菓子を食べる秋の夜長。
とりあえず明日から連続で有給取ったので、早速インバウンド需要への過度な期待の象徴である"全国旅行支援"を使ってみたいと思う。
ではまた。