バカ真面目に自粛をして1年を過ごした。
コロナ禍、自粛自粛というけれど、金融という職業柄もあり会社から恐らく普通に比べて一段の自粛を要求されている。
とはいえ現在の職場は終電が21時のド田舎。
自粛もなにも100%電車に座れるというのに感染リスクは一体どれだけのものなのか。
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自粛を徹底していて気がつかなかったことがある。
コロナで時勢がこれだけ変わったというのに、周囲の進捗についてはあまり情報が入ってこなかった。
私はというと自粛に自粛を重ね、毎月のように東京に行っていたのもコロナ以降断念し、数少ない友人ともほとんど連絡を取っていなかったのだが、どうやら所謂若者はそうではないらしい。
久々に話を聞いた友人らは転職や結婚を着々と履行しており、そうでない人もマッチングアプリやスポーツジム、習い事などと精力的に励んでいたのだ。
加えて会社の同期や昔の同級生においても、このコロナ禍で難関資格を無事取得していた。
一方私は?
私には何もない。
何一つ掴み取れぬまま若さだけを浪費している。
久々に彼女に安否確認を兼ねた連絡を試みるも、連絡無精の究極形態、どうやらブロックのフェーズに移行しているらしい。
改めて自分には何もないのだと痛感させれられた。
◇
「何もない」境遇に投影しているのか、皮肉にも10年前に聴いていたホイットニー・ヒューストンの「I Have Nothing」を思い出した。
恋愛体質ではない絶食系なので恋愛については20代半ばにして未だによくわからないが、人生において焦燥感や喪失感を覚えるのは今まさに肌で感じている。
5年間という時間の長さはコロナの前に呆気なく吹き飛んでしまうらしい。
海外旅行のほか国内もいくつか一緒に巡ったが、私の人間としての器量の無さでこうも容易く終わるらしい。
律儀に自粛をするも、ただ無為に人生を棒に振っただけなのか。
1年間自粛をしたので未だ2021年を生きられていないのかもしれない。