年末年始、旧友達10人ほどに2020の過ごし方について尋ねてみたところ、ほとんどが自粛していなかった。
衝撃。
自分だけ律儀に自粛していた。
思えば外出自粛に留まらず、人生そのものを自粛していたのかもしれない。
道義を遵守していたつもりが無為に人生を浪費しただけなのか?
考えてみれば国自ら自粛していなかったではないか。
この期に及んで漸く先週緊急事態宣言を発令したが、国がそんな認識なのだから国民も自粛しないことがむしろ当然だと認識しているにすぎないのかもしれない。
正しいのは自粛していた筆者などではなく、自粛せず今を謳歌して生きた人々なのである。
ともかく、事実として存在するのは貴重な20代のひとときが確実に奪われてしまった。
そもそも電車が1時間に1本であるほどのド田舎在住の土民が自粛するのと、都会人が自粛するのとでは意味が違う。
むしろバカなのは筆者の方だった。
これに限らず、ほかのこともそうだ。
私は砂漠地帯で周囲に人がいなくても赤信号があれば立ち止まるような人間なのだ。
そこに本来としての社会的機能や効果が存在しないとしても、潜在意識レベルで規範が存在する以上、私にとってはそれは守らざるを得ない。
これは自由意思に基づいて遵守しているのではなく、強迫観念に駈られてそのような結果になっているにすぎない。
そのため、別に褒められるべきことではないのだ。
強迫性障害の一種。
より罪悪感を背負わずに生きていくために仕方なく遵守しているにすぎない。
形骸化した無意味な規範も筆者にとっては意味が存在する。
高尚な理由もなくむしろ利己的かつ消極的な自粛である以上、とても褒められたものではない。
非実用的な鎖を自らの首に巻いて生きる。
なんと生きにくい道を選んで歩んでいくのか。
この世は斯くも世知辛い。