20代にしがみつくブログ

20代元金融マン。やっと2000万資産達成。東証一部上場企業勤務(プライム市場になりましたね)。FP2級(法人+個人)。一種教員免許。証券外務員1種など金融商品取扱資格全般。銀行検定各種保有。IT関連資格保有。国立大卒。7年連続で映画を年間300~700ほど鑑賞。痛すぎるプロフィール。ずっと20代でいたいブログ。最底辺の負け組人生やめます。

ハッピーエンドのその先へ










高校時代から貪るように映画を観るようになった。

大学時代は暇さえあれば映画を観ており、社会人になってからは通勤退勤時の歩行中でさえ映画を鑑賞することもある(歩きスマホ、ダメ絶対)。






主観としても客観としても数えきれないほどの駄作も傑作も観てきたが、未だに映画には疎い。



映画に限らず、何かに通暁することなど叶わないと感じる。



そんな素人風情が何を宣うのかと言われてしまってはご指摘もごもっともですと項垂れるしかないが、そんな無資格者でも思うことがある。












映画の構成としてハッピーエンドというものがある。

起承転結としてその物語を1つの作品たらしめる古くからの定石である。



一種の形式美として確立されているこのハッピーエンドだが、その枠に規定されることにより名作と同様のプロット(あるいは踏襲したプロット)が巷には溢れかえっている。





紆余曲折を経て一件落着。

そしてこれからも続いていく。








そんな紋切り型の作品群に疲れてしまった。

疲れたという言葉では語弊があるが、的確な言葉もなかなか見つからないのでもどかしい。




辟易しており、懐柔されており、落胆と同時に安堵もしている。

そして何より、物足りない。





恐らく過分に期待している。

ハッピーエンドだけでは満足できない。

恒久的な保証がほしい。



(もちろんバッドエンドはもっと嫌いだ。わざわざ手間暇かけて悲劇を生み出すなど愚の骨頂ではないのか?とさえ思う。)







こんなことを考えるのは、自分の人生を投影させているからなのだろう。



この件についてはなんとか形として収まった、
でもその先は?


今は問題ないとしても、これから先訪れるであろう荒波や向かい風に太刀打ちできる?

いつか昔を省みて後悔はしない?

最終的にこの人生は正解だった?

















社会人になると「正解」がほしくなる。

きちんとした裏付けのあるエビデンスとともに、自分自身とその轍を肯定してほしい。









だからこそ、そのハッピーエンド、
未来永劫 保証されたいと切に願う。











約5年前、西野カナがリリースし話題になった「トリセツ」という楽曲の歌詞のなかに「永久保証の私」というフレーズがある。

なるほど、「返品交換は受け付けません」と悪徳業者のような文言を序盤に提示しながら、永久保証とは矛盾している。

恐らく8日以内にキャンセルしたところでクーリングオフ制度も適用除外する反社のそれだろう。



が しかし、現代人にとって「永久保証」という言葉は大変魅力的ではないだろうか。





特に時はコロナ禍、まさに一寸先は闇であり、先行き不透明なまま約1年が過ぎようとしている今日この頃。


当たり前だと信じてやまなかった日常が一転し、誰もが非日常を生きている。


その最中、永久保証のものがあるとしたら。












そんな幸せがあるとしたら。

















ハッピーエンドのその先など、ナラティブの前提としては恒久的な幸せが待ち構えているからこそ言及など不要であり、それ故にそこで作品は帰結しているのだと言われるかもしれない。



それでも、弱い筆者は100%保全されたい。



克明な輪郭を帯びた確固たる幸福が欲しい。














映画と異なり、人生は続いていく。

薔薇色の人生からは程遠く、青年期においてハッピーエンドどころか起承転結が転転転転になりかねないほどに不安定な毎日。



それでもまだ今は投げ出さない。

未来に期待できるほど、出来のよいステータスも持ち合わせていなければ、将来への展望も描けるほど努力することもできていないけれど。






映画におけるハッピーエンドの多くは外的要因によってもたらされる幸福よりも、内的要因あるいは自らによる現状打破や抵抗によってもたらされる傾向がある。



否、
「もたらされる」のではなく、むしろ自らそのような結果になるようにはたらきかけている。



現代において叫ばれがちな自己責任論に帰結するわけではないが、近年のトレンドとしてその潮流は確かに台頭してきている。

本件において引き合いに出している映画でもその傾向は強く、例えばディズニー映画の黎明期における “いつか王子様が” (まさに曲名がこれを裏付けている)といった待ちぼうけ的シンデレラストーリーから、1989年公開の「リトルマーメイド」を契機に “たとえ王女であっても能動的に” 新しい世界に飛び出し幸福を追求するネオ・シンデレラストーリーへと移行している。





この人生の責任を取るのは私自身しかいない。

生来の階級差・家庭差における負の再生産について本件では言及しないが、この人生、良くも悪くも自分次第でハッピーエンドに変わり得る。













ただし、筆者にとってのハッピーエンドは80歳前後で人生を回顧した時のものではなく、まずは第一部の幕を20代で迎えたいものなのだけれど。