【2021年の頃の下書きを供養します】
コロナ禍において自粛に自粛を重ねた結果、
気が触れているのかスイーツを作りがちな今日この頃。
というのも近い将来やがては実家を出て生活するにあたり、料理スキルが皆無に等しいのは如何なものかと考えて早幾年。
少なくとも大学時代から料理やスイーツ作りを遊びで試していることに加え、小学生時代から【調理師免許を持つ母】による料理の手伝いをしてきた。
それでもまだまだ半人前なあたり、私の無能具合を示しているに他ならない。
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とはいえそれを嘆く訳でもなく、懲りずに料理にチャレンジしている。
ところで料理・スイーツ作りといえば、中国の「孟子」に「是以君子遠庖廚也」とあるように日本には「男子厨房に入らず」という言葉で浸透したが、どうやらこれは日本人の曲解であるらしい。
本来は「君子(為政者)は憐れみ深いので、動物が捌かれる姿が見えたり動物の悲鳴が聞こえたりする厨房に近づくことは忍び難い」という意味らしいが、今日においても誤った認識が色濃く残っているように感じる。
(故事成語を自らの生活の価値観に都合良く当て込もうとした昭和の誤った価値観の負のレガシー)
ただし、筆者の場合は何をやっても人並にできない無能の極みであるため、「火事を起こされてはかなわない」「包丁で怪我しかねない」と幼少期は母に見限られていたので、着手するのがここまで遅れてしまった(今となってはこんなこともできないのかと諸々危ぶまれている気がする)。
実は料理の練習は今に始まったことではない。
幼少期からできる範囲で手伝っていたし、家庭科の授業も好きだった。大学時代にもたまに簡単なケーキやスコーンを作ったり社会人になって職場のおばさんから料理の話で盛り上がりレシピ本を貰ったりしていた。
とはいえ家業柄、家族が料理をしなくても食事ができる特殊な環境()にあるため、やはり必要に迫られる機会も特段なく惰性で生きてしまっていた。
そして、コロナ禍到来。
所謂パリピとは人種が異なるため、律儀に自粛して引き籠もりとなったものの、資格試験や転職も終われば必然的に暇になる。
暇を持て余した筆者の末路とは━━━━━━━━
五月雨式スイーツ作りであった。
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料理は複数の品々を同時並行で手際よく進行させる必要があるが、スイーツ作りは比較的単品で成立するからハードルが低いと感じ、最近は料理よりスイーツ作りに傾倒している。
もう本当に、何度も何度もシフォンケーキやプリンやガトーショコラ等を作った。
(これらは型を買ってしまったので、やむを得ずリピートしているだけなのかもしれないが。)
しかし日頃の心労も大きいせいか、満身創痍で日々を生き抜いているため、これだけ糖分の悪魔に身を委ねていても、幸いなことに体重は平行線を辿っている。
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それにしても、まさに「自粛、ここに極まれり」といった具合で【職場と家の往復】だけで季節が過ぎていく。
SNSを開くと、結婚したり旅行したりデートしたり充実した日々を過ごす周囲の人々ばかり目に入り、「いったい自分は何をしているんだろう」という思いに苛まれる。
この自粛の先には何も無い。
何も得られるものは無い。
ただ持て余した時間を流れ作業で誤魔化しているだけである。
この先に「報われる未来」などあるのだろうか。