【300日前の下書き供養】
20代後半戦。
本当に1日1日の日々が過ぎていくばかりで恐ろしい。
常日頃「今日は昨日と比べて何か変われただろうか」と考えているが、30代に移行するにあたり武器になるような取り柄が少なすぎる。
焦燥感に駆られてこれまでに累計20前後の資格を取得したはいいものの、結局のところ資格が何だというのか、知人が実際に持っている「医師」「弁護士」などの難関資格には遠く及ばず、究極的にはあがいたところで終わりがない競争があるだけである。
ここまで駄文を連ねておいて、次回受ける資格試験の勉強を何もしていない。
というか今まで資格試験に合格できてきたことが不思議なくらい何事にもやる気が出ないというか、モチベーションと焦燥感と行動が結びつかない。
20代、このままでいいのか?
何者にもなれやしないという諦観を盾にして、これから先もその諦観を抱きしめてただ老いていくつもりなのか?
◇
自分は本当に知恵遅れである。
(この文脈における「知恵遅れ」というワードは筆者のことのみを指しており、所謂知的障害や発達障害については言及しないし、その点を事前に前提として据えているのでこれ以上わかりやすく説明をするつもりはない)
最近、今更になって気がつくような社会システムや構造、過去のやり取りの背景などに思い馳せることが増えてきた。
ここまで必死にあがいているのに足りない。
その焦燥が行動や準備や根回しや調査という形となって、実際問題として十分に足るまで機能しなければ、それは事実「足らない」のである。
そこに気がつくまで、あまりにも若さを浪費しすぎたように思える今日この頃、憧れには今からでも手を伸ばして間に合うのだろうか。
だが、それもまた、「間に合う」ように行動するだけの話なのである。
だから勉強して、自分。
もっとがむしゃらに、あがき苦しんで、自分。
◇
【↑ここまで下書き供養】
結局、10月の資格試験当日は19連勤の只中にあり、仕事をしていたためにお金だけ支払って終わってしまった。
これで何度目の空振りなのだろう。
それでもまだまだ何度でも挑戦しなければ。