3年前の某日の帰途にて、共通の趣味である映画について推しと話していた際に勧められた映画がある。
題名こそ伏せるが、アカデミー賞6部門ノミネート、2部門受賞の秀作とのことであった。
あれから3年。
その映画のタイトルは確かに記憶していたが、地味で重くて苦しいという口コミからの先入観と、私の利用しているサブスクにおいて恒常的に有料作品となっていたため、つい最近まで観ることが叶わなかった。
(守銭奴やめろ)
それでもかねてより2,3ヶ月おきくらいの頻度で無料ラインナップに加わっていないかと継続して確認していたが、それがなんと今月になって無料になっているではないか。
迷わず即刻鑑賞した。
推しと一緒に歩いた帰り道、ほんの数分の会話さえも未だに忘れていなかった自分の憧れの度合いに我ながら辟易する。
推しよ、オススメ映画、遂に履修しました。
◇
鑑賞後の感想について。
わからなかった。
何故推しが私にこの映画を、こんな重い映画を、どこまでも現実主義で重く暗く地味で只管苦しい映画を勧めた理由が。
否、本当は勧めた理由などそもそも無いことくらい見当がついている。
この映画を「一番好き」と話す時点で、推しは私のことなど見えていなかったのだろうと改めて思ったほどだった。
どんな間柄の人にでも勧められるような映画ではない。
偏に自分の好き嫌いを実直かつ純粋に答えただけなのだろう。
推しのSNSのアイコン画像もその主人公の俳優のドアップの顔面が設定されていたし、普段寡黙で澄ましたような雰囲気のあの推しが楽しそうに熱弁を振るっていたのだから。
映画の題名を明らかにしてしまうと露骨すぎるので憚られるが、内容について私も率直に述べたいと思う。
まず、究極的に現実主義的で救いがなかった。
「いつか報われる」だとか「いつか許される」だとか、そんな希望的観測は存在しない。
それでもアカデミー賞のほか、数々の賞を受賞しているだけあって、そのメッセージ・演技・構成・描写は確かに訴えかけてくるものがあった。
十字架を背負うことについて、その是非になど一切触れない。
むしろそこからの更生・再生を突き詰めて描いている。
そしてその更生・再生のあとさきは不明、その功罪も不明というリアルさ。
よく「立ち直る」だとか「再出発」という言葉がこうしたことの関連に上がるが、この映画ではそういった「立ち直る」ことの必要性など無いのだという。
只管、過去に現実に未来に向き合い、すべてを抱き締めて確かな今を生き抜く様、その鋭利に切り込んだ描写が評価された作品だった。
◇
それにしてもこんなにも暗く重く地味で鈍く冗長な映画を「一番好き」という推しよ、一体その見目麗しき尊顔の裏にどんな背景があるというのか。
アカデミー賞受賞作品とはいえ、手放しで褒められたものではなく、実際批評家による評価も100か0かに二分されている。
私もどちらかというと0評価側の人間だ。
批評家による高評価の批評や一般の口コミには「わかる人にはわかる」とあったが、言わんとしていることはわかる。
けれど以前の記事( https://happiclearfile.hatenablog.com/entry/2021/02/03/000548 )に記したように、筆者はどこまでも救われたい、ハッピーエンドを約束されたい。
実際の人生同様、五里霧中のなか今を生き抜く姿に焦点を当て、過去を否定も肯定もせず、ただ抱き締めて忘れずに生きるには私は弱すぎる。
キャパシティを優に超えている。
どこまでも人生についてまわる過去と現実を直視し、精査し、より良い未来へ進むには一筋縄ではいかない。
今この瞬間も焦点を外してぼやけたピントのまま憧れだけで生きている私には、推しの気持ちなど到底推し量れない。
ただでさえ、推しのオススメ映画に着手することにすら3年もかかってしまったくらいなのだから。