20代にしがみつくブログ

20代元金融マン。やっと2000万資産達成。東証一部上場企業勤務(プライム市場になりましたね)。FP2級(法人+個人)。一種教員免許。証券外務員1種など金融商品取扱資格全般。銀行検定各種保有。IT関連資格保有。国立大卒。7年連続で映画を年間300~700ほど鑑賞。痛すぎるプロフィール。ずっと20代でいたいブログ。最底辺の負け組人生やめます。

コロナウイルスとペスト





コロナウイルスで騒がれて久しい今、アルベール・カミュの「ペスト」(1947年)が再注目されている。


ペストとはペスト菌によってもたらされる感染症で、別名黒死病と呼ばれる通り、感染してステージが進むと皮膚の下で内出血が生じることで肌が黒く見えるのが特徴の病である。


インフルエンザウイルス等とは異なり、現在に亘ってもその菌の形は変わっていないらしいが、それでも非常に多くの人類がペスト菌により命を落としている。


特にヨーロッパで深い爪痕を残しており、ペストはあまりにも有名な感染症として知られている。





そんなペストを取り扱った作品、
アルベール・カミュの「ペスト」(1947年)での描写がコロナウイルスに対する現代人の対応や感染拡大の状況等など様々な点において酷似しており、2020年を生きる我々に対し示唆している部分が多いというのだ。





不条理文学で有名なアルベール・カミュだが、本来この「ペスト」という作品において別に「感染症の恐ろしさ」を描こうとしたわけではない。

確かに物語はペストを中心に展開していくが、彼が自らのレジスタンス活動で培った思想を通して、戦争や全体主義、大災害といった極限状況に、人間はどう向き合い、どう生きていくべきかを問うた代表作が「ペスト」である。









ペストの内容については本著を一読するだけで事足りるためこれ以上言及はしないが、2点だけ取り上げておきたいと思う。















まず、ペストを読み進めていくなかで
「絶望に慣れることは、絶望そのものより悪いのだ。」
という一文がある。


「絶望する」という行為それ自体については時には避けがたく、人生のライフイベントにおいて陥って然るべき場合もしばしばあるだろうが、それよりも「絶望を日常の一部だと捉える」といった状態はより一層酷い段階だ。



人間には優れた環境適応能力がある。
それは時に住環境や生活様式だけでなく、生き方そのもの(あるいは考え方)まで変えて現実に適応してしまうものだ。


日本でも「最初はツラくて大変だったが次第にそれが当たり前となり徐々に慣れていった」という話をよく耳にする。

果たしてそれが絶望なのかどうかという議論はケースバイケースなので今回は焦点化しないが、場合によっては十分該当する例も少なくないだろう。




絶望がいつの間にか日常に。

朝目が覚めて、仕事で理不尽に怒られて、夜寝るときに隣には誰もいなくて。

そんな毎日が当たり前だが、人生、これをただ受けいれるだけでいいのだろうか。





以前、顧客からの電話を取った際、
「お待たせ致しました」の「お待たs」の段階で
大声で「嘘つき!!」と開口一番に罵られた。

相手が何を言ってるのかも理解できず、耳元で赤子のようにただ喚く人に只管謝罪と相槌を繰り返した。

結局誰かに謝ってほしかっただけらしく、最後には落ち着いてくれたが、筆者も一応は人間である。

筆者の雇用条件を確認してみても、誰かのサンドバッグにされることによって賃金が発生しているのではない。



理不尽な毎日。

自分ではどうしようもできない理不尽も絶望も、それが当たり前だと受け入れることなくいつか報われたらいいな、と心から切に願う。














2点目は、
「無力感に苛まれる私にとって【神による救い】だとか【人類の救済】を訴える人に苛立ちを覚える。」
という一文についてである。



これは別に宗教批判ではないので語弊があれば申し訳ないが、要は解決へのアプローチが根本的解決に至らないソリューションを然もそれが唯一の選択肢かのように自身の狭い視野で盲信し確定して他者にまで働きかけるような輩への憤りである。



いや、迷惑千万。
害悪の極み。
せめて自己完結してくれ。

自分の中での唯一解が他人にとってのそれに成りうると勝手に思い上がるな。


















まずい。
これ以上は言及しない。

汲み取ってくれ。












とまあ以上「ペスト」における2点について
少し取りあげておきたかった。









意図も汲み取ってほしい。










それにしてもコロナウイルスの影響たるや。


本当であれば今年はイギリス旅行や富士山登頂を夢見ていたのに到底叶いそうにない。


貴重な20代前半をまさか自粛生活に専念し、
棒に振ることを世情に強制されるとは。


人生、思い立ったが吉日。
今は自己研鑽に励み、来る解放の日のために根を張り巡らせるべきなのだろう。











絶望に慣れることなく、
根本的解決のために正しい解決方法で、
人生を模索せねば。