社会人になり、往復2時間30分ほどの電車通勤も1年5ヵ月続けているが(とは言え学生の頃も電車通学は長時間ではあったが)、それだけ長ければ何かしら気付くこともある。
あっ、この人◯◯社の人だ。
同じ乗車駅、同じ車両、同じ終着駅の人がいると意図せず記憶してしまう。
それがふとした瞬間に相手がどの会社に勤めているかまでわかってしまうこともある。
今回がそうだった。
田舎であるからこそ車両の数が少ないことも影響して、居合わせた人はなんとなく覚えてしまう。
髪型、服装、顔、読んでいる本…etc
別にじろじろと凝視してはいないし、
特段見る必要もないため
あくまでも一瞥しているにすぎない。
それでも長くその場に居合わせていれば流石に記憶してしまう。
決定的だったのは地域イベントで会社名を背負って参加していたということ。
明らかに同業他社であった。
しかも乗降駅が同じということは、地元が同じで勤務地も同じということである。
同業他社であれば、ちょっとした地域の祭りやイベント・行事で顔合わせするため、推測を確信に変えるには幾ばくの歳月も要さなかった。
そんな人が、気がつけば6月から消えた。
恐らく異動したのだろう、
その程度のことにしか過ぎないはずがどうも考えてしまう。
私もいつかこうやって消えていく。
しかも記憶もされずに消えていく。
大量消費文化と言われて久しい昨今だが、
奇しくも会社が労働者を消費する構造がここにも窺えた。
労働者はこのように消費されていく。
物だけでなく、人すらも暗に消費されている。
私は
いさ 知らず