20代にしがみつくブログ

20代元金融マン。やっと2000万資産達成。東証一部上場企業勤務(プライム市場になりましたね)。FP2級(法人+個人)。一種教員免許。証券外務員1種など金融商品取扱資格全般。銀行検定各種保有。IT関連資格保有。国立大卒。7年連続で映画を年間300~700ほど鑑賞。痛すぎるプロフィール。ずっと20代でいたいブログ。最底辺の負け組人生やめます。

【再掲】 「僕は」



僕は遅いかもしれない

でも

走ろうと思う。

僕は悲しいかもしれない

でも

隠そうと思う。


僕は負けるかもしれない

でも

戦おうと思う。



僕は弱虫かもしれない

でも

強くなろうと思う。



人生は過酷かもしれない

でも

夢みようと思う。



翼は折れたかもしれない

でも

明日へ飛ぼうと思う。



僕は君の望むような

僕じゃないかもしれない

でも

君の心の火が消えそうなときは

そっとこの手をかざそう。

いつまでも

かざそう。




















これも「半分、青い。」に出てきた詩。



満身創痍でも、負け戦だとしても、
真摯にひたむきに生きようとする内容。





僕は、さて、どうだろうか。

この詩に対して、僕はと言うと、
人生において何事にも諦念が纏わりついている。





遅いかもしれないなら走らない。

負けるなら戦う前から棄権する。

弱虫だから予防線を張り巡らせる。

悲しいならその不平等さを訴える。

人生が過酷ならその理不尽さに嘆く。

翼が折れたなら戦意喪失する。

望まれる人になれないなら俯いて蹲って燻る。








人が強くストレスを感じるときは「何かしらの行為が徒労に終わる」時らしい。

なら僕の持論もそれに適っている。



無駄な労力・無駄な時間は好ましくない。






負けるとわかっていて、どうして頑張れるのだろうか。

筆者の人生もそうだ。



他者に比べて圧倒的に低いステータスには、もはや目も当てられないほどに凄惨な現実がある。


当人にしか分かり得ないなどと負の自惚れには陥りたくないものだが、そういったエゴな感情もまた批判されるだけのものではなく、自己と向き合ううえで非常に大切なものだと思う。





タイトルに戻るが、これから「僕は」どう生きていくのだろうか。

常に暗中模索ではあるが、それでも生きている限りより良いものを目指していきたい。





幸せになるために。