自由。
現代社会における「自由意志」の定義は字面のそれではなく狭義的に規定されており、往々にして表層に映った行為そのもののみを評価しているように感じる。
これだけ進歩してきた現代社会において、選択肢が増えつつあることがむしろ自己責任の割合を増やすことになってしまった。
機会均等。男女平等。
なろうと思えば
それ相応の努力をすれば
基本的には叶えることが可能となった時代。
裏を返せば現状に満足できない人は、過去に甘んじた結果をその延長線上の今になって犇々と痛感してるだけとも言えるかもしれない。
「今現在のあなたを形成したのは、過去にその道を選択したあなたなのだから、自分の選択に責任を持て」と。
そう、現代は責任社会である。
その責任は自分だけが背負うものではなく、時と場合によって誰か他の人に一任されてしまえば、たとえ事実と異なっていても当該者に起因したものとして処理されてしまうこともある。
生きることが上手い人種の方は罪悪感に負けることなく他者に責任転嫁してその場を凌いで生きていくが、残念ながら責任を背負った人間はそれと付き合って生きていくか巧く処理しなければならないという構造ができている。
もちろん筆者は生まれながらにして負け組なので後者のタイプの人種である。
その是非は状況に応じて大きく異なるので今回は取り上げないが、この構造がこの上なくツラく、苦しく、非情で、無慈悲だということを今日何度でも言っておきたい。
そんな有象無象が跋扈する現代社会に日々飲み込まれている今日この頃。