「ダメな私に恋してください」というフレーズ。
「ダメな自分に恋せよ」などとは、いくらなんでも自惚れが過ぎる。
そもそも、一体どんな人生を歩めば「そんなダメな自分でも愛される権利があるのでその履行依頼をする」などという自己肯定感に満ち溢れた開き直りフレーズを生み出せるのか甚だ疑問だ。
そんな前置きを並べておきながらも、恥ずかしながら近況報告するとコロナ禍において所謂「ダメな私」に陥っている。
自己矛盾。
2016年に同名のドラマが放送されたが、今回取り上げたいのは当該作品ではなく、あくまで題名の通りであることをあらかじめ注釈しておきたい。
「ダメな私」
掲げる理想の自分とは程遠く、その乖離幅の大きさに苦しむ。
事ある度に改心すれど刹那、結局は堂々巡りをただ繰り返してばかりいる。
重ね重ね既述の記事にて纏めたが、2019年の自分はそれでも近年稀に見るほどに比較的能動的に活動し、20代前半のラストを華々しく飾ることができたと自負できる。
しかし2020年も4分の3が過ぎる現在、一体何を成し遂げることができたというのか?
焦燥感に駆られに駆られ、1月~8月までは何も資格試験を申し込まなかったにも関わらず、9月~12月で4つの資格試験を受ける申込をしたが、それはそれでなんとも無謀が過ぎる。
9月は1つ、10月は2つ、12月に1つ。
結局また自分で自分の首を絞めてばかりいる。
いい加減「ダメな私」に飽きないのか?
無為に嘆くくらいなら自己研鑽に励み、自己実現のために邁進すべきことなど自明のことだ。
ジェームズ・ディーン主演の映画「エデンの東」においても、「人間は獣と違って自分次第でどうとでもなれる」と主人公が窘められるが、まさにその通りである。
(とはいえ、今まで何の努力もせず現状に甘んじている訳では決してないが)
2020年、1月1日に地元メンバーで初詣した際に引いたおみくじは珍しく「大吉」だった。
コロナで悉く台無しとなった2020年を諦めるにはまだ早い。
せっかくの大吉がこんなはずではなかっただろうに。
「ダメな私」から完全に脱却することは一朝一夕にはいかずとも、まずはそんな「ダメな私」でも誰かにとって意味を見出だされるようにしなければ。
スモールステップで螺旋型成長でもいい。
「ダメな私」ではなく、「ダメではない私」へ。
一信向天飛