最近、某影響で宇多田ヒカルが好きなのだけれど、NHKのSONGS宇多田ヒカル スペシャルを見ていたらハッとした。
そのきっかけがこちら↓
なにがしあわせかわからないです
ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中での
できごとなら
峠の上りも下りも みんな
ほんとうの幸福に近づく
一あし(ひとあし)ずつですから
銀河鉄道の夜くらいは中学生の頃に読んだはずだが、記憶に無いということは悲しいことに当時の筆者にとっては響かない言葉だったのかもしれない。
しかし、それも今となっては響くようになった。
「幸せ」とは?
最近人気のバンドによると、
「幸せとは、星が降る夜と眩しい朝が
繰り返すようなものじゃなく、
大切な人に降りかかった雨に傘を差せる事」
であるらしい。
それも紛れもなく正しい幸せのはずだが、定義としては狭義的に陥りすぎている側面がある。
個人の価値観によって大きく左右されるものであるため、言葉で形容することは語彙力の著しく欠如している筆者にとっては非常に難しい。
しかし、それでも少しずつ思うことがあるので筆不精ながら綴ってみる。
近年、世情に鑑みるに「幸福」というものが一種のブームとなりつつあると強く感じる。
筆者が潜在意識レベルで「幸せになりてえ」と思うようになったこともここに起因するのではないだろうか。
国語力が人より数段劣っているためNHK「100分de名著」を欠かさず見るようにしているのだが、流行に乗るかのように、ここ最近では数多くの「幸福」にまつわる書籍について取り上げられている。
バートランド・ラッセル「幸福論」
神谷美恵子「生きがいについて」
三木清「人生論ノート」
アルフレッド・アドラー「人生の意味の心理学」
などなど、年間の3分の1の内容を「幸福について」が占めている。
それらをすべて見た上での感想は、幸福になるためには考え方(認識)・潜在意識が重要なんだなあ、ということ。
そして受けた教育も非常に影響するんだなあ、ということ(これは特にラッセルの著作において)。
筆者の年齢と実父の差は49もあるので(70代)お察しいただけるかもしれないが、戦争期に生まれた父による教育というのは凄惨たるものだった。
思考停止で従順であることを要求され、それに適わなければ柱にくくりつけられたり、手首を縛られ暗闇の押し入れに幽閉されたりした。
といっても、幼少期こそ そうだったが、流石に70代ということもあり、ここ数年は身体も頭も限界に達し、漸く父として尊敬できるほどにまで丸くなってくれている。
脱線した。
言いたいことは父の現状ではなく、父から受けた教育が与えた影響である。
何かにつけて脳裏を過る。
思わざるを得ない瞬間ばかり。
詳細については省くが、このような壊れた筆者を形成した一要素として、父という存在は非常に大きく、現在進行形で筆者の人生に影を落とすこともあるのである。
もう一つの「考え方」については、いわゆる昔の日本人には馴染み深いものである。
漠然とした言葉で言うならば「執着しない」ということである。
仏教的にも万物は流転していくものであるから、悉皆に拘泥しすぎることに関して戒めるように、アドラーも幸福のためには自己や他者に対して過度な執着を求めるのを止めるべきだと説いている。
先日、京都の龍安寺に行ったときも
このような有名な言葉を目の当たりにした。
「吾唯知足」という文字が読めるだろうか。
「吾、唯だ足るを知る」(ワレ,タダタルヲシル)
筆者にとっては非常に苦い言葉である。
あまりにも低いステータス故に、向上心しか取り柄の無い筆者にとって、この言葉とは相容れない。
現状に満足することなど到底できるわけがない。
常にプラスアルファがほしい。
常に完璧でありたいし、完璧以上でなければブラックな弊社では評価されない。
そもそも現在の自分自身が憎いから、改善していくことで少しでも自分のことを好きになりたいのに、先人達の知恵によればどうやらそれは推奨されていないらしい。
言葉を変えれば「妥協」である。
幸せとは妥協なのかもしれない。
それでも筆者は主張したい。
一度しかない人生を、果たして妥協してもいいものなのか?
刹那的に生きることは嫌いだが、現状に甘んじることはもっと嫌いだ。
実はちゃんとわかっている。
先程の幸福のエッセンスについて曲解を展開したが、要は中庸ということだ。
拘泥しすぎることも、妥協することも違う。
幸せとはそういうことだ。
さて、社会人になって様々な人生を知り始めた筆者は、そろそろ決断すべき岐路に立っている。
重ね重ね綴ってばかりだが、そろそろ幸せになりたい。
いい加減、不幸には飽きた。
冒頭の宮沢賢治の言葉に戻るが、今の筆者にとっては何が幸せなのか、まだわからない。
確かなことは、残念ながら現実はツラいということ。
それでもそれが正しい道なら、筆者は甘んじて受け入れる。
いつか幸せになるために。